過去の人気ブログからの抜粋

中絶した赤ちゃんはどこへ!   19日 10月 2017

✿キャット・カー氏のメッセージより(youtubeチャンネル「リーハイバレー・ジャパニーズ」より)

 

 

私(長野)は、人生途上でやむをえず中絶という悲しい判断をしなければならなくなった人、あるいは、何も深く考えずに中絶をしてしまった人に、「このような考え方もあるんだよ」という思いで書きました。良かったら最後まで読んでいただけたら幸いです。

 

 

神様は中絶をとても悲しんでおられます。それは、神の家族となるように神の愛とご計画をもって地上に送られたかけがえのない生命を絶つことだからです。

 

 

また神様は、地上のすべての人に使命(その人が本来やるべきこと)と賜物(その人だけに授けられたもの)を用意しておられます。でも、中絶された赤ちゃんは、それを成し遂げることができなかったのです。

 

 

中絶がおこなわれるとき、胎児は実際に痛みを感じます。どんなに小さくても人間として存在するからです。

 

 

命は受精の瞬間からは始まり、神様により小さな霊がこの世界へ送られます。そして、神様はその小さい霊を、母の胎の中で肉体と編み上げるのです。

 

 

聖書にあるように、神様が永遠の存在である霊に手足をつなげて形造りますが、そうでなければ神のもとへ帰ります。

 

 

その後、赤ちゃんがたとえ数週間、数か月だとしても、完全な赤ちゃんの霊が宿っています。もちろん赤ちゃんには中絶の痛みはあり、心の痛みが残ります。

 

 

御使い(天使)が中絶された子どもたちを、天国の特別なところに連れて行きます。そこではまず、イエス様が彼らを迎え入れ、最初に子どもの心の傷の癒しをします。なぜなら、子どもたちは拒絶されたこと、中絶されたこと、そして、望まれなかったことを知っているからです。

 

 

そして、中絶された赤ちゃんは、実際に両親や中絶をおこなった人を赦します。中絶された赤ちゃんは、すでに親を赦していますから、後悔して、不安や恐れなどに打ちのめされないでください。

 

 

彼らは両親にも天国に来てほしいと、願っているのです。これを読んでいる人の中には、流産してしまった人や、子どもを早く亡くしてしまった人達もいるかもしれません。

 

 

その子どもたちもイエス様から、たくさんの慰めを受けます。

 

 

子どもたちが天で幸せにしていると知ることができて、あなたも慰めを受けたのではないでしょうか。今、神様が望んでいるのは、あなたから中絶したことへの後悔や苦しみや悲しみを取り除くことなのです。

 

 

あなたの天にいる子どもたちは、自分の両親が罪責感を持って生きてほしくはないのです。彼らはあなたがそこから解放され、先にすすんでほしいと、神様と共に願っているのです。

 

 

いつの日かあなたが天に行き、その子どもに再び出会います。

 

 

後悔、罪責感など無しに、あなたの子どもとまた一緒になれるのです。

 

 

今、天の神様はあなたの痛みに触れたいのです。あなたの罪の意識に触れたいのです。

 

 

「神様本当にごめんなさい。私は自分が何をしているのか、分かりませんでした」と、

あなたが心から叫ぶとき、神様(イエスキリスト)の血潮(十字架の死)があなたを清め、

小さい命を奪った犯人の罪から解放してくださり、罪責感をぬぐってくださいます。

 

 

そして、これからも先もその罪から解放してくださるのです。

 

 

 

このブログを読まれた方の中で、

 

中絶した子どもや流産した子どもがいる方、

 

更には早くして子どもを亡くした方、

 

あなたはご自分のお腹にいた赤ちゃんに、

 

 

「ありがとう」の言葉を伝えることはできましたか。

 

 

 

 

 


私たちはどこから来てどこに行くのか? 20日 11月 2017

私の死生観を変えてくれた「本」

 

私は今まで生きてきた人生で、自分の目では決して見ることができない、

人の霊(れい)についてどうしても興味をもたざるを得ない時期がありました。そんな時、とても素晴らしい「本」に出合ったのです。

 

 

その本は、アメリカインデアンの女性の臨死体験の出来事が書かれていました。私が最も知りたかった、霊(たましい)はどこから来てどこに行くのかを知ることができたのです。

あまりにも素晴らしい内容なのでブログで少し紹介したいと思います。

 

 

このブログでは、若くして病気や自死で亡くなってしまった人の霊(れい)について、

少し触れてみたいと思います。亡くなられた方のご家族や、友人を失った方でこれを読まれているあなたの慰めとなれば幸いです。

 

 

 ~ベティー・イーディー著「死んで私が経験したこと」から~

・著者(ベティー)は、病気の手術中に一時、死んでいる状態でした。

 

 

【本からの抜粋①】

「『死ぬ』ということは、もうひとつの状態に移されるだけのことなのです」

霊は肉体から抜け出して、霊の天国へ入っていきます。

 

 

大きな怪我で死ぬようなときは、霊は急いで肉体を離れます。まだ死んでいないのに肉体から離れていくこともあります。

 

 

事故(自死も含む)や火事に見舞われても、肉体から霊がとられてしまえば、悲惨な苦しみを味わうこともありません。

 

 

人の目には、しばらくのあいだまだ生きているように見えても、肉体を離れた霊はとっくに平安な状態に入っています。

 

 

【本からの抜粋(別の場面より)】

天国で私は案内人の人から、たくさんの霊(れい)がこの世の生活に入る準備をしているところに

連れていってもらいました。

 

 

そこは成長した霊(れい)ばかりが集まっていま たところ、子どもの霊はどこにも見当たりません。どの霊もみんなこの世に行きたがっています。

 

 

この世の生活は、そこに行ってたくさんのことを勉強し、自分の欠点を改善するための学校だと考えられていました。わたしもかってはこの世に行こうとしていたのです。

 

 

しかも、この世の生活に弱さや困難な状況をみずから選んで、自分の成長に役立てようとしていたのです。わたしたちには弱さが与えられていますが、それは、わたしたちの益とされるためでした。

 

 

ですから、よいものであれ欠点であれ、自分をほかの人と比較してはいけません。自分というものは一人しかいません。

 

 

【本からの抜粋(別の場面より)】

わたしたちの祈りは、霊の世界の人にもこの世の人にも力があるというのです。

 

 

なにか理由があって、死者の霊がどうなっているのか不安に思えたり、どうもあの人は霊の世界に入りにくそうだとか、入れてもらえそうもないと思えるようなとき、その人たちのために祈れば、その霊を助けてあげることができるのです。

 

 

この著書(ベティー)は私たちに、

 

 

今、私たちが生きている次元では見ることや知ることができない

 

 

ところがあることを教えてくれています。