私は牧師の癒されていない心の傷をかいま見た
7年前、あるテレビでも有名なN牧師の集会に参加した時のことであった。
当時(7年前)私はクリスチャンになって35年目だった。
私はこれまでも数々の神の奇跡と不思議と心身の癒しを経験しいた。ただ55歳の時、胃癌を発見するまでのプロセスと、胃癌が早期のものだったので抗がん剤治療も、放射線治療もせずに済んだことに対して感謝すると同時に、もっと聖書の神様のことを知りたいと思い、ネットで検索し、各地で聖書研究会を主催しているある有名なN牧師の大阪の集会(定例会)に参加した。
集会が始まると、はじめて参加した人々の簡単な自己紹介があった。
私は自分の番がきたので開口一番、「私は一匹オオカミのクリスチャンです」と言った。するとそのN牧師が、
「一匹オオカミのクリスチャンがいいるんですね」と、高い講談の上から、笑いながら皮肉って私に言った。
集会に参加している人々はN牧師の言葉に笑い声をあげていたが私は、
「なんって失礼な牧師なんだ」と思った。
そんな嫌な思いをしたにもかかわらず、私はN牧師の管轄の大阪にあるバイブルスタディの集会に参加した(どんなものか、もう少し様子を見ようと思ったからだ)
約20年ぶりに、クリスチャンが集まる会に参加したが、なぜか私が当時から感じていたクリスチャン独特の嫌な不雰囲気がよみがえってきた為、期待も大きく外れた。
「こんなものか~」と思いながらも参加を継続したことによって、聖書の終末預言のことや、旧、新約聖書の内容に更に興味を持っことができた。
数か月通った後、夏のキャンプ(全国から人々が一か所に集まって聖書を学ぶ集会)への、参加を勧められたので参加した。
そのキャンプで、N牧師は自分が育った家庭の様子や、自分が体感したネガティブな出来事を話し始めた。心理カウンセラーの私は、単に話を聞く言うよりも分析的に聴いてしまう傾向がある為、N]牧師の話を積極的に傾聴していた。
その結果分かったことは、N牧師の心の中には子どもの頃に受けた心の傷がありり、それが大人になった今でも癒されていないということだ。
N牧師は、私も良く知っているベテランの70代のカンセラーの方(男性)を講師に呼んで、各地の聖書フォーラムの代表も参加させて心の学びをしていたようだ。
その時、私は心の中で「N牧師さん、そんな間接的な学びなどしないで、あながた直接、そのベテランのカウンセラーからカウンセリングやセラピーを受けたらよいのでは」と言いたかった。
また、N牧師は有名なベテラン牧師になった為、個人カウンセリングを受けることに抵抗があるのだと思えた。しかし、なぜか可哀そうな人にも思えた。。
私はこれまでも、様々な牧師を見てきたが、彼らは大なり小なり心の傷を抱えていることは確かだ。
それから私はキャンプの会場で、個人的にN牧師の冷ややかな顔を見てしまい、複雑な思いが湧いた。
ある時、私はN牧師の定例会に参加してN牧師の本を一冊、購入した。その際にN牧師が本にサインをされるということで、サインをされている時に少し声をかけたが、一度も私の顔を見ることもなく、さっさとサインした本だけを私に差し出した。
N牧師はこれからも相手に対する自分の態度を顧みることはないだろう。
この出来事を機に私はN牧師が管轄する聖書の学びの集まりに行くのをやめた。
実は私が行くのをやめたのは、他にも理由があった。聖書の学びに参加しているあるクリスチャンの女性の心無い言葉を聞き、彼女の心の中にも癒されいない心の傷があることがわかったからだった。
私は以上のようなクリスチャンの方々にも、是非、心の癒しをして欲しいという思いで、このサイトを立ち上げたとも感じている。
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